コレクション: 高屋永遠 個展「桜時」
朦朧とした形態は、どこまでも軽く掴みどころのない生の気配。
偶然に生まれ落ちた生。大きな流れから、どのようにそれは到来したのだろう。
いつかの光景は、網膜の奥で内在化する。イメージは忘却され、散逸していく記憶となる。
「確かに存在したこと」への信頼と、忘却することで曖昧になる現実を受容しながら、
私たちは世界に触れる。朧な形態は、数多の生の存在することの儚さ。
生は何処からとも無く訪れ、舞うように世界に溶けてゆく。
心の脆さを内包する剥き出しの身体。それでも、光や風を感じられるということ。
科学を以て分かることは、万物は絶えず振動していることだ。
ー 高屋永遠 ー